日本の “ 国体 ” は憲法より強し

世界,日本,雑記

Vol.3-3.26-802 日本の “ 国体 ” は憲法より強し

2022.03.26

ジイは異人というものに特段興味を引かれる。従って、以前から「ワタシが日本に住む理由 」や「イタリア小さな村の物語」「世界ふれあい街歩き」などのあまり演出されていない番組を好んで見る。

そこには、日本人が考えもしない発想や、行動、興味を抱く時の視点の違い、人との触れあい方の違いなどすべてが新鮮であるし、ハッと驚かされることもある。しかし、心の在り方など、世界のどこへ行っても変わらないと感じる時などはほっとする。

麗澤大学准教授・ジェイソン・モーガン氏はアメリカ合衆国ルイジアナ州生まれ。日本史研究者である。

モーガン氏は産経新聞「正論」の論説メンバーで月に1度はお目にかかるのだが、いつも切り口が新鮮で、時にハッと驚くような日本を見せてくれたり、世界の新鮮な情報を教えてくれたりといつも楽しみにしている。

今回は、しばらく聞いたことのない「国体」という言葉に “ はっと ” させられた。

辞書を開けば「国体とは、国家の状態、くにがらのこと。または、国のあり方、国家の根本体制のこと。あるいは主権の所在によって区別される国家の形態のこと」とある。

話は『コロナ禍で映し出された「国体」』というタイトルで書かれた論説文である。

内容はコロナ禍における世界と日本の違いを考察したものだ。

「今年2月、カナダで新型コロナウイルスのワクチン接種義務化に反対する大型トラックの運転手が、首都オタワで道路を塞いでカナダと米国をつなぐ重要な国境の橋で抗議デモが展開され、物流ルートが遮断されるなど深刻な影響がでた。」

「米国でも大型トラック運転手がカリフォルニア州からワシントンへデモを始めた。フランス、ニュージーランドでもトラック運転種の抗議デモが起っている。」

「日本人は早く打ちたい人がほとんどである。日本人から見れば不思議な光景である。」

「西洋では「憲法」が国の基盤、国民の「権利」が憲法で保障されているのが常識になっている。政府が無理やり出す「ワクチン接種命令」や「ロックダウン」が気に入らない。個人の自由を奪っているという不満が、トラックデモにつながっているのだ。」

モーガン氏は、日本は憲法で緊急事態発生時の強制力の伴う規定がまだ憲法に明記されていない。その弱すぎる憲法でロックダウンもせず、ただ、お願いするだけでコロナ禍を乗り越えたと称えている。

西欧の強い憲法、ロックダウンで反発を買い、さらには強制的なワクチン接種に怒って「抗議デモ」が起きる。この混乱に逮捕や拘束者までが出る騒ぎになった。この違いはどこからくるのか?

モーガン氏は、「憲法」が国の体・筋肉で、「国体」が国の魂だとし、「国体」はある国の法律や条例などではなく、その国の中身、国民の人格、国の伝統と本来あるべき姿などを指す。と自らの解釈を示した。

要するに、日本がコロナ禍で社会秩序を保てたのは、日本の「国体」の強さで、日本の国体は憲法より強いという。

久し振りに聞いた「国体」。日本では戦後、天皇・明治憲法・教育勅語などと結び付け、さらにGHQの洗脳もあって長らく忌避されてきた言葉のような感覚でとらえてきたが、モーガン氏の手垢のついていない解釈は新鮮に映った。

モーガン氏はさりげなく「国体」という表現を使ったが、「国体」という言い方によからぬ “ 洗脳 ” がないからであろう。

モーガン氏は、日本の国体は、日本人の強靭な芯や思いやりに基づいている。紙に書いたルールではなく、心に書いたルールが社会の秩序を守ってくれた。と、若干リップサービス旺盛なところもあるが、「国体」への汚れなき解釈は「国体」という言葉を本来の姿に戻してくれたようで嬉しくなった。

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