日中国交50年からの未来

世界,日本,雑記

Vol.3-9.30-990   日中国交50年からの未来

2022.09.30

日中国交50年が心から祝えないのは残念でならない。

今朝の新聞一面に「日中友好団体」による記念式典の模様と記念写真があった。
その写真には「林外相、福田康夫、二階俊博、河野洋平、中国駐日大使」各氏が映っていたが久しぶりのチャイナスクール代表の面々が揃った。しかし、そこに本来ならあるべき姿の岸田総理の顔はなかった。

思い返せば20年前の国交30年式典はお互いの国内でも盛大に祝ったような記憶がある。

周知の通り、この20年、中国は絶大なる力をつけた。1993年、GDP差が10倍もの差があったが、わずか7年で逆転した。2010年には逆に日本の1.1倍になり、2021年には3.6倍になった。差は開くばかりである。

思えば「政府開発援助」いわゆるODAは1979年から始まった。中国の経済発展を助け、国内を安定させ、国際社会にある法と秩序に沿った中国の未来を期待し共に成長を願ったのだ。

しかし、そう簡単なものではなかった。
1989年、国民の民主化の高まりを武力で押さえようとした天安門事件の発生。多くの一般市民を殺戮した。せっかく芽生えた民主化の波は一気に暗黒へと逆戻りした。世界からは猛烈な批判と経済制裁を受けた。そんな中国の窮状を見かね、日本は対中制裁をいち早く解除「中国の国際社会復帰」を後押ししたのである。

ここでも日本は、今度こそはと中国の変化を期待した。しかし甘かった。今になってみればODAはもっと早くやめるべきだった。それどころか、GDPで中国に抜かれ世界第二位の座に退いたにもかかわらず、世界第三位の日本が、世界第二位の中国にODAを続けたのである。もう笑い話である。終わったのが2022年とは驚くべき能天気ぶり。その額は3兆6600億円にもなった。

国葬16億を批判するなら、この無駄な3兆円を批判すべきである。野党はお嬢様のように静かであった。

中国との50年を思い返せば
「靖国神社参拝の内政干渉」「反日デモ」「尖閣諸島漁船衝突事件」「レアアース輸出規制の嫌がらせ」「領空侵犯」「日常的領海侵犯」「日露共同作戦による威嚇航行」揚げ句の果てには「領海へのミサイル着弾」と良き思い出が浮かばない。

傍から見れば一発触発、犬猿の仲に見える。その間もODAは続行していたというお人好し振りには “ 開いた口がふさがらない ” 。政府内に親中派がワンサといる証拠でもある。弁護士会、日本学術会議、財界など中国に行くと目じりを下げ、よだれを垂らしてすりよる犬のように要人たちに近づく姿は何であろうか。

特に残念なのは、中国の靖国参拝批判に呼応する日本の勢力の存在である。この癌病巣が政府からマスコミまで蔓延している。日本という国はどうなっているのか。

世界第二位の経済を誇る中国は、世界制覇を内に秘め、“ 一帯一路政策 ” をユーラシア大陸からアフリカ、ヨーロッパに至る地域を視野に経済拡大路線をとりだした。

安倍総理になり、中国の異常な拡大路線に対抗するように「自由で開かれたインド太平洋」構想を打ち出したのは、中国封じ込め作戦でもあった。

中国の覇権主義は領土でも発揮、香港の中国化はイギリスとの50年の約束を反故にした強引な中国化。今では火の消えた香港島になり、暗黒島に姿を変えた。隣接するチベット、モンゴル、ウイグル自治区も人権無視の強制労働よる中国化政策はまさに奴隷扱い。世界の目など気にする気配すらない。国連人権理事会は手玉にとられて何一つできない有様だ。

最後は全世界に新型コロナウイルスをまき散らして知らぬ顔。“ 厚顔無恥 ” ここに至れりだ。

これから日本は中国とどんな未来が描けるのか。

ウクライナ戦争を機に、世界は民主主義と共産独裁国家と2分されつつある。地政学上も最も影響を受けやすいところに位置する日本。

経済的にも完全に切り離すなど土台無理な話、かといってお花畑的友好だけの未来などあり得ない。今こそ根本的に対中関係を見直さなければならない。

全ての安全保障を考えた上で、言うべきことを言う。その返り血があるとすれば国民は覚悟をもって対応する心構えを政府は国民に説かなければならない。国民にも覚悟の共有が必要である。

日本は一丸とならなければこの国難を乗りきれない。今最も必要な愛国心は「愛国心=軍国主義」などと一部の勢力によって歪められたままである。

しかし、希望は国葬で見られた若き安倍ファンの存在である。ワイドショーに引きづられない若い層が多くいることに驚いた。未来はこの若者の力が必要になる。そのためにも現役世代は今こそ憲法改正を断行し、戦後レジームからの脱却。確かな基盤をつくって次の世代に引き継がなければならない。

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