二度暗殺された、安倍元首相

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Vol.4-1.16-1098   二度暗殺された安倍元首相

2023.01.16

~ 安倍元首相は二度、暗殺された ~

「日本社会に存在する『醜さ』

ミステリー小説のような表題である。

国際政治学者・三浦瑠麗氏が産経新聞に寄せた寄稿文だ。

この寄稿文を読むと、安倍元首相が暗殺された直後の政治家たち、特に野党の言動を振り返ってみると、なるほどなと気づくことが多かった。

三浦氏は、「人間は人の死に対して、一言目に何を言うかではなく、二言目に何を言うかが肝要だ。」と語っている。

当然のように、暗殺された当初は誰もが「ご冥福」の言葉を口にした。
「民主主義に対する挑戦だ」の「言論の自由を封殺されることは断じて許されない」等、選挙期間中であったこともあり、その類の言葉がよく聞かれた。

混乱から少々時間が経ち、警察からも怨恨の線が濃厚な単独犯だということが判明すると、選挙戦が再開され平常に戻りつつある中で、確かに第二の発言がボツボツ出始めるのである。

山上容疑者は「旧統一教会に母親が入信、多額の献金のせいで、家族は破壊された。その旧統一教会と安倍元首相は近しい関係だと信じ、殺害した」という供述を始める。

この、「統一教会 = 安倍元首相 = 自民党」この一点に、暗殺の意味合いを集約することで、安倍氏のすべての足跡を亡きものにしようという動きである。

三浦氏は
「安倍氏の殺害を社会問題の発露として整理しようとする動きは、一歩間違えば死者とそれを取り巻く遺族の当事者性の簒奪ともなる。尊厳ある一人のリーダーの死に対して、抗弁可能性がないことをいいことに、過度に侵襲的な言説は、まるで安倍氏という存在が暗殺を経てより強い求心力となることを恐れているかのようであった。」

鋭い指摘である。三浦氏は「日本は元々多元的社会であり、“ 中心 ” を作りだすまいとする日本社会特有の脱中心化の動きがさらに強まったのかもしれない」という。

さらに「安倍氏は凶弾に倒れただけでなく、セカンド・アサシネーション(暗殺)にも晒された。安倍氏が死後に受けた様々な名誉の侵害は、まさしく『第二の暗殺』ともいえる現象だった。政敵に対するテロを不条理な暴力として一丸となって非難し退けるのではなく、死者に対しても毫も尊厳も顧みることなく帰責性を認定しようとする姿勢。それは、社会に存在するある種の醜さ、つまり相手の不幸を願い足を引っ張る態度として浮かび上がる。日本社会は嫉妬によってしばしば突き動かされており、死んでしまった人はまさに口なしの状態に晒されるのではないか。」

まさに、日本の特異性を指摘している。このことは安倍氏の暗殺後に、世界からおびただしいほどの弔意が示されたのに対し、日本は国葬ですら揉める始末である。このギャップこそが、三浦氏が指摘した、中心を嫌う国民性と政治家の嫉妬以外の何物でもない。

安倍首相の功績は、米国が抜けた後のTPPの主導、米国との歴史的和解、インド太平洋構想の創出、クワッドの枠組み。国内ではアベノミクスで株価は3倍に、失業率はほぼ完全雇用、女性の活躍の場の提供、憲政史上最長の足跡さえ評価されずに今日に至る。

ところで、山上容疑者にはこの半年間、現金や服などの差し入れが続々と届き、現金書留は100万円以上に達しているという。

手紙が伯父宅に直接届くケースもあり、「(山上容疑者を)支えてやってください」「絶対に死なないでと伝えてください」という趣旨の文面だったという。 また、インターネットの署名サイトでは、山上容疑者の刑の減軽を求める署名活動が続いており、すでに1万を超える署名が集まった。 コメント欄には「日本を守ってくれた人物」「正義の鉄槌を下した」など、山上容疑者を英雄視するような内容が多数見受けられる。というのだ。

こうした傾向について、東京未来大の出口保行教授(犯罪心理学)は「理由さえ成り立てば犯罪も仕方ないと合理化するのは、非常に危険な考え方だ」と警鐘を鳴らす。が、それよりもこの事件に関しては別の力が動いているような気がしてならない。

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