ウェイン・ショーターの死

日本,雑記

Vol.4-3.5-1114  ウェイン・ショーターの死

2023.03.05

JAZZサックス奏者ウェイン・ショーターが亡くなった。89歳だった。

元気な頃を知っていてしばらく遠ざかっていると、ああ、、もうそんな歳だったのだと改めて思う。

その新聞記事である。
「ジャズ界の巨匠として知られた米サックス奏者で作曲家のウェイン・ショーターさんが2日、西部カリフォルニア州ロサンゼルスの病院で死去した。
1933年8月、東部ニュージャージー州生まれ。

1959年にジャズドラマーのアート・ブレーキ―さんを中心とする「ジャズ・メッセンジャーズ」に参加。その後トランペット奏者、マイルス・デイビスさんの「マイルス・デイビス・クインテット」の一員としても活躍するなど、ジャズの黄金期を支えた。

1970年にはジョー・ザビヌルさんらとフュージョンバンド「ウェザー・リポート」を結成。ジャズにロックや電子音楽などの要素も加えた先駆的な音楽で、70~80年代には世界的人気を博した。」とある。

この記事を読んでいて何か “ むずがゆい ” 気持ちにかられた。

この “ ・・・さん ” と名前につける “ さん ” づけがどうもなじめない。敬意を表してつけておられることは十分承知している。しかし、何でもさんをつければそれでいいのかジイなどは疑問を抱く。

この記事を読んでいて正直、気持ち悪くなった。

ウェイン・ショーターが交わってきたアート・ブレーキ―もマイルス・デイビスも巨匠である。彼らの音楽を聴き、映像を見た方はご存知のように “ 俺の音を聴け ” 的なプライドに満ちている。その前に彼らはその都度、音と音で勝負する闘いの中にある。特にマイルス・デイビスなどはマイルスの “ ワントーン ” を聞いて目指す音にどう反応するかに命をかける。如何に掛け合うかが試されるような緊張に満ちている。若手奏者などはマイルスバンドに招待されただけでも一流の証明のようなものだ。

“ さんづけ ” はそんな緊張とは相容れない表現のように思えてしまう。

加えて言えば、聖徳太子や織田信長や福沢諭吉を語る時に “ さん ” をつけて語る違和感のようなものを感じる。それ尊敬しているようで歴史を “ バカにしてない? ” と思ってしまう。

歴史上の人物はもとより、芸術家、俳優、スポーツ選手に至るまで、有名になった人物は “ 固有名詞 ” になった証として “ さん ” を外されることで “ 別格の証明 ” となるのではないだろうか。

まあ、国語の話になるのだろうが、ここ20年ほど、日常の国語が変わってきたことにジイなどはなかなかついていけない。

最近では “ ら抜き言葉 ” は普通になった。一時流行った “ 半疑問言葉 ” は昨今は少なくなった。一種の流行言葉だったのだろう。最近は、“ ナニナニ・・・いて ” と、最後に “・・・いて ” をつける言い方がある。言葉は時代と共に変わっていくのであろうが、頑固ジジイにはなかなかなじめない。

ところで、ウェイン・ショーター。ジャズ評論家・後藤雅洋氏の「ジャズの名演・名盤」(1990.11講談社現代新書)の中にこんな一節がある。

「彼のメロディは少しおかしい。どっかがヘンなのだ。だからショーターの面白さに気がつく前の僕も、何かオカシなことをやりおってと、半ば彼のことを異端視していた。しかし、何かのはずみでショーターの魅力に開眼すると、今度は、そのヘンな味がたまらなく良くなってくる。ショーター中毒症状の第一歩だ。そのうちフュージョン・アルバムのバックで、ほんのわずかに出てくるジョーターのソロにも狂喜するようになる。思えばショーターがジョー・ザヴィヌルの「ウェザー・リポート」に捉われてソロ・アルバムが払底していた頃は、一番この症状が強く現れていたものだ。

そこで、ショーター紹介の第一弾としては、かなり変化球であるのを承知で、彼のごく初期のアルバム『セカンド・ジェネシス』をあげてしまおう。このアルバムを購入したら、まずはともあれ、彼の異様なメロディ感覚に親しんでいただきたい。オチがつくようでつかない。聴いているうちにどこかとんでもないところまで連れて行かれて、二度と元に戻れなくなるような、不思議な浮遊感覚に身をまかせてほしい。」

最近ではJAZZもあまり聴かなくなった。ジジイになるとなかなか夢中になるものがない。年寄りの口癖で “ 昔は良かった ” 的発言は、若い頃は夢中になれるものがあったからだ。ジジイでも夢中になれるものがあれば “ 今が最高 ” になるはずなのだが。

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Posted by 秀木石