大相撲 ~悲しみと希望~

スポーツ,日本,雑記

Vol.5-03.29-1148    大相撲 ~悲しみと希望~

2024-3-29

令和6年春場所が終わった。

❝ 荒れる春場所 ❞ を盛り上げたのは、ここ何場所に見られる若手力士たちの活躍である。その中で異彩を放ったのが今場所初入幕で初優勝を飾った幕尻の『尊富士』であった。

記録づくめである
① 新入幕力士の優勝は大正以来110年ぶりの快挙
② 初土俵から所要10場所での優勝は年6場所制となった昭和33年以降最速。貴花田、朝青龍の24場所を大幅に更新した。

さらに、これは記録ではないが、前日に朝乃山との勝負に敗れた際に足首を痛め車いすで退場、誰もが予想した休場を覆し、決死の覚悟で土俵に上がり前頭六枚目の好調・豪ノ山を豪快に押し出しての優勝だ。

その裏話がふるっている。

師匠・伊勢ケ浜親方からは「力が入らないから無理だ」と休場を進められたが、「この先が終わってもいい。ここでやめたら一生悔いが残る」。

背中を押してくれたのが兄弟子・横綱・照ノ富士である。
「兄弟子の横綱・照ノ富士から『お前ならやれる。記録ではなくて記憶に残りたいんだろう。このチャンスはもう戻ってこない』と言われて出場することを決めたという。

尊富士は『スイッチが入って第二の自分がいるみたいに急に歩けるようになった。自分で自分が怖かった』と笑顔を見せた。そして、初優勝を決めた千秋楽の一番について「気持ちで負けたくなかった。自分の手で優勝をつかみたかったので自分から動こうと思っていた」と振り返った。

まるで根性漫画のエッセンスを存分に盛り込んだサクセスストーリーそのものである。

優勝を目前にしたアクシデント、それを乗り越えたドラマチックな裏話、まさに拍手喝采、スタンディングオーベーション的優勝ストーリーにちょっと水を差すようだが、出来すぎていてちょっと座りが悪い。

ケガは確かに痛かったであろう。しかし、土俵から落ちた尊富士の一連の様子だが
① 落ちた瞬間足を痛めたのがわかった

② ただ、激痛を思わせるような痛々しい姿にはみえなかった
③ 表情にもそれほどの緊迫感や切迫感は感じられなかった・・・等々は尊富士の穏やかで独特の表情がそうさせたのかもしれない。それでも車いすが必要とは思えなかった。しかし明日の大一番が残っている。尊富士は千秋楽に向け大事をとっての車いすと思われた。

表情に出る人、出さない人、人それぞれであって傷の程度は本人しかわからない。

しかし、とてつもなく大きなことをやりとげた優勝の瞬間の笑顔や、インタビューからも、110年ぶりの偉業をやり遂げた身体全体から自然に湧き出てくるどうしようもない高揚感がイマイチ伝わってこなかった。

インタビュアーの盛り上げ方も足りなかったと思うが、すべてが記録的な大事業をやり遂げたにしては少し物足りないのである。ジイの個人的な感情だけかもしれないが、、、

尊富士が発した記録よりも ❝ 記憶に残りたい ❞ というのは自分ではどうにもならないものだ。

『記録よりも記憶に残る男』はミスタープロ野球・長嶋茂雄にマスコミがつけた特別な ❝ 敬称 ❞ である。長嶋が望んだわけではない。世間や、ファンから自然に生まれたものだ。ジイのような年代は特に、記録よりも『そこに長嶋がいればいい』という心情にさせてくれた唯一の選手である。

記憶に残るとは、ファンやお客様の心が決めること、プレーヤーはただ懸命に命がけでプレーに専念してこそ結果としてファンの記憶に深く刻まれるのだ。

<尊富士の新聞記事である>(産経新聞)
◇ 9日目・・・尊富士 破竹の勢い 新入幕9連勝 単独首位守る
◇ 10日目・・・尊富士 止まらぬ10連勝 新鋭対決 大の里下す
◇ 11日目・・・尊富士11連勝 新入幕記録 大鵬に並ぶ
◇ 12日目・・・豊昇龍 尊富士止めた 豪快な投げ 大関の意地
◇ 13日目・・・尊富士 新入幕V大手
◇ 14日目・・・尊富士2敗目 右足負傷 偉業目前 車いすで退場
◇ 15日目・・・尊富士 痛み耐え猛進 出場直訴「気力で取った」

スポーツ相撲欄のすべて尊富士がリードをとった。尊富士の活躍ぶりがいかに凄かったかがわかる。

尊富士の素晴らしい快挙に水をさすわけではないが、その日の一番に全神経がかけられた15日間の結果での優勝であるはずだしケガを押しての千秋楽優勝などそう簡単にできるものではない。間違いなく記憶に残る。ただ個人的にはもっと ❝ 爆発的な感動 ❞ が欲しかったのだ。その理由をいろいろ考えたが明瞭な答えがでない。それは来場所以降、この1年の尊富士の相撲に対する姿勢がすべて証明してくれるのではないかと期待している。

改めて振り返れば、たった10場所で幕内に上がっての初優勝。このまま横綱まで駆け上がれば大相撲における現代版サクセスストーリーだ。1年6場所を考えれば入門から2年も経たない。驚異の出世である。幕内で大銀杏が結えないのは大の里と尊富士だけ、それだけでも大出世の証であり勲章でもある。

これからが本当の勝負だ。大記録を打ち立てた後の5月場所が尊富士の第一関門である。近い将来の横綱を目指し、緊張感をもって迫力のある若々しい相撲が取れるかだ。穏やかな人相から勝負師の面に変わり、優勝者としての自負をもって来場所もファンの目をふたたび釘付けにしてほしい。

いよいよ大相撲も日本人力士の活躍により、長らくモンゴルの定席となっていた横綱・大関の座を奪い返せる希望が持てるようになった。と同時に大相撲は江戸時代に始まり神事の様相を含んでいる。単なる相撲レスラーではなく、歴史と国技を担う力士としての威厳と美しさも維持していただきたい。

相撲界の横綱という称号も、横綱だけが腰に締めることを許されている白麻製の綱に由来しており神の領域を意味している。綱の前に垂れ下がる紙は「しで(幣)」といい、幣とは「神前に供える玉串、またはしめ縄などに垂れ下げる紙」としている。すべては神事に則っているのだ。そのことを片時も忘れてほしくない。

場所前には土俵祭りが行われ神主が土俵の神様を呼び寄せ、土俵の邪気を払う意味で五穀豊穣、国家安泰、土俵の無事を祈る儀式が行われる。

土俵には神様への供物と共に「鎮めもの」土俵の中央に勝栗や昆布・洗米・スルメ・塩・榧の実の六品が埋められている。

神が宿る神聖な土俵上での真剣勝負も、力士の仕切り動作から始まるが最近は少々雑にみえる。

清めた土俵で相撲をとるのだ。それなりに神事を感じながら取ってほしい。

例えば、土俵のエリアに入るときは必ず頭を下げて入場するように仕切りの一連の動きにはそれぞれに意味がある。
呼び出しがあって土俵に上がる。

  • 蹲踞の姿勢になり、拍手を打ち、両手を広げて掌をかえすという一連の動作には手に何も持っておらず、正々堂々と戦う意思を示している
  • 力水で口や身を清める
  • 塩をまいて、土俵を清めケガなきを祈る
  • 踵を上げて、膝を左右に開いて腰をおろした状態で、上半身はまっすぐに起こし相手に敬意を表す・・・等々、ただ相撲をとって勝負を決するだけではない。その意味を知ってか知らずか適当に流す力士がいる。

手の返し方も自分流で、手を返しながら途中で立ち上がったり、塩をまくにも見えないほど少ない力士もいる。懸賞金をいただく時、行事が軍配の上に懸賞金を置いて差し出すが早いか手を出す力士がいる。しっかり腰を下ろし、しっかり手刀をきり、落ち着いてかつ恭しく懸賞金をいただけないものか。早くよこせとばかりに手を出す力士の多いことよ。そこにはスポーツマンとしての美しさも、力士としての厳かさもない。

総じていえば、ただ土俵上で勝敗を決するだけの ❝ 相撲レスラー ❞ に成り下がっている。

相撲協会はどういう力士教育をしているのか疑問である。

日本人力士が大関、横綱に君臨するようになっても今の状態では神事としての美しさは期待できない。

勝負に強く、国技としての相撲を理解した強くて美しい横綱の誕生を期待したいが期待薄である。相撲協会も本腰を入れ、国技を担う力士のあるべき姿こそ教育方針の中心としていただきたい。

さらに一言、力士とは関係ないがNHKの相撲放送である。

テレビの相撲放送だけに限りらないが、最近は華やかな表舞台だけでなく、勝負がついた後の力士を舞台裏までカメラが追う。土俵上ではこれから相撲を取ろうとしている仕切り中の力士を放ったらかしで時間ギリギリまで追っかける時がある。TV局は注目を浴びている力士にフォーカスしたいのであろうが、ファンは土俵に上がった瞬間から真剣勝負の力士の表情しぐさに酔いしれるのである。ましてやファンにとって応援している力士の4分の仕切りの時間は芳醇かつドキドキの舞台なのだ。力士と言えど、舞台裏に下がれば緊張も解け見られたくない表情も時には見せる。TVの録画を確認している姿など見たくもない。

神事の側面があるとはいえショーである。何でも見せればいいというものではない。ファンは戦いの余韻を心に残し次の舞台を楽しむのである。舞台裏を見せることにより、穏やかな緊張は台無し、次の流れに水をさすだけである。

舞台裏を見せたいなら、例えば『力士 苦悩の舞台裏』とか、ドキュメンタリー番組として改めて放映すればいいではないか。

相撲ファンはすべての力士を平等に見たいのだ。仕切りの4分間はファンとしてはその力士を見られる貴重な時間である。それを奪わないでほしい。

大相撲は落ち着きのある放送と美しい神事の側面と緊迫した激しい戦いの場面だけで十分である。舞台裏の緊張のとけた表情やだらしない表情は相撲の醍醐味と緊張感をそぐだけである。少し考えていただきたい。

いずれにしても今年の大相撲はやっと明るい兆しが見えてきた。日本人力士の活躍もそうだが、若手力士の一瞬にかける緊張ある相撲である。そのおかげで上位力士にも好影響がでてきた。希望が現実味を帯びるのは令和六年がターニングポイントだ。

尊富士、大の里、熱海富士など果たして本物であろうか、来場所が楽しみになってきた。

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