曽野綾子という生き方

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Vol.1-5.21-128  曽野綾子という生き方
2020.05.21

昔、「誰のために 愛するか」がベストセラーになって名前を覚えた。
その事件から「曽野綾子」という名前は脳裏に刻まれた。
しかし、その後も曽野氏の本を読んだことがないのに、何故かよく知っているかのような錯覚にとらわれている自分がいるのが不思議だ。

多分、「誰のために愛するか」(S45/1970)のタイトルがず~と頭にあって、読みたいと思いつつ何十年も記憶だけが生きつづけ、読んだような気になって今日に至ったのだ。

つい最近、¨ついに ¨、という表現がぴったりというほどの期間、50年が経って読んだのだが、そのイメージがどういうわけか、自分の描いていたイメージにほぼ間違いなかったことに驚いたのだ。というより、なるほど、間違いなかった。と納得したのである。

読みたいと思った50年前、何となく題名に怖気づいたのだろうと想像する。
「愛だ、恋だ」のという恋愛本と勘違いし、名前だけの印象で、手に取ることをためらっていたのだと気が付いた。

曽野綾子氏の本を読んでもないのにどうして「イメージが間違いなかった」という感想に行き着いたのか。
それは、ここ数年、新聞に毎週掲載されるコラムを読むようになったことと、夥しく出版されるエッセイのタイトルがリンクするようになったからである。

例えば、出版される本のタイトルである。
「働きたくない者は、食べてはならない」
「人間の芯・・・なぜかくも日本人の芯がここまでひ弱になったのか」
「いいも悪いも、すべて自分のせい」
「思い通りに行かないから、人生は面白い」
「恐るべきは精神の貧困である」
「人生の選択・・・人間は利口なこともするが、同じくらいバカなこともする」
「野垂れ死にの覚悟」
「私の危険な本音」 
「貧困の光景」
「安逸と危険の魅力」 
「結婚は賭け」
「なぜ人は恐ろしいことをするのか」
「幸福不感症」 
「人間の分際」 
「端正な生き方」
「幸せは弱さにある」
「人間にとって成熟とは何か」
「人間になるための時間」

本のタイトルを見ただけで、書き手の人となりを勝手に想像し自分で「曽野綾子氏」の人間像をつくりあげていた。近年は人生指南書のような傾向が見られるが、決してありきたりではない曽野綾子流香辛料が人間賛歌としているところに共鳴するのだ。

タイトルからも「飾り気のない本音」が読み取れるが、世の中に浮遊する ¨清濁¨ を ¨生きる知恵¨ とする生き方、人間として生きるための柔軟な思想が、肩ひじを張らない自然な生き方に通じている。
そこには理不尽多き世の中を生きる安心感のようなものをも感じ取ることができる。

それの思いを決定づけたのは、新聞に連載されるコラムだ。

つい最近のコラムの一節だ、
「私の家では、家族も親しい客も、冬ならば居間の炬燵に集まっていた。そこで私は宿題をする振りをしながら、知人の小母さんの知り合いの男がお妾さんの「始末」をする話などを実に熱心に聞いたいた。だからそこは、子供を大人にする最高の教室だった。

今、大人たちは、あまり話をしない。従って子供がそれとなく大人の世界を立ち聞きする場所も機会もなくなった。これは教育には喜ばしい状態だ、という大人もいるだろうが、私には子供が薄っぺらな大人になる理由だと思える。」

「 ¨理不尽¨ という言葉がある。人生では理を尽くした方がいい場合が多いが、理不尽でないと、その不都合な「時」を突破できないこともあるのだが、理不尽の輝きを口にする人など、昨今ではめったにいなくなった。」

この二つのエピソードから、曽野綾子氏の生き方がおぼろげに浮かんでくる。

50年前に書かれた「誰のために愛するか」の一節である。

「女性は、本当は優しくもない。デリケートでもない。残忍なことをできるのは、男より女である。しかし、女は自分の夫や子供をいったん信じたとなると、とことんまで理性の力などかりずに、自分の信じるものを支持することができる。理性的であることのみが、世間的にみて、知的であるかのようなことを、よく言われるが、多分そんなことはない。ものごとをなし遂げてきたのは、一部の理性的な計算と、あとは狂的な執着なのである。」

決してきれいごとでない済まされない世の中を現実のものとして、例え我が身に降りかかる火の粉が理不尽なものであっても決して悲観もせず、卑屈にもならず、我が身の運命として受け入れつつ、できる限り端正に生きようとする姿である。

そんなイメージがジイの中に出来上がった。

その後、「誰のために愛するか」を読んだのである。
若い頃抱いた本へのイメージは覆され、すでに現在の老境にある曽野綾子氏の考えがその当時からさほど、変わっていないことに逆に驚いたのである。

曽野綾子という生き方、理不尽にも切られた腕から流れる血にも意味を見出し、興奮よりも冷静の中に現実を生きようとする姿勢。

夥しいほどの人生の指南書が氾濫する中、万人向けではないのが曽野綾子本だ。
曽野綾子の生き方が書かれている。

ジイはいつも冷静なる刺激に酔うのである。

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Posted by 秀木石