賭けマージャン
Vol.1-5.23-130 賭け麻雀
2020.05.23
今回、東京高検の黒川弘務検事長が辞任の意向を固めた原因となったのは新聞記者らとの賭けマージャンだが、この時期この立場の人がというのはまずい。
ただ、ジイはこの麻雀に対する刑法の内容が一般市民感覚からのズレを感じる。
刑法185条は、「 賭博をした者は、五十万円以下の罰金又は科料に処する。ただし、一時の娯楽に供する物を賭かけたにとどまるときは、この限りでない。」と定めている。
そこで賭博とは、「金銭や品物などの財物を賭けて、偶然性の要素が含まれる勝負を行い、その勝負の結果によって、負けた方は賭けた財物を失い、勝った方は財物を得る、と言う仕組みの遊戯の総称である」を言うとある。
「マージャンは偶然の事情に関する」のは50%程度ではないか。かなりの部分は技量により勝敗が決まる。
しかし、一般的には、当事者の技能が結果に相当影響を与えるような場合でも、偶然性が残されている限りには賭博罪は成立するとされているのだ。
大審院昭和6年5月2日判決事例で、マージャンは、主として偶然の勝敗で勝負が決まるので、麻雀賭博には賭博罪が成立するとしている。
ただし、90年近く前の判例である。
ジイも過去何度も賭け麻雀を楽しんできたので自己弁護になるかもしれないが、賭博というイメージを持ったこともないし、賭博から派生する人間同士や金銭的なトラブルなど一度もなかった。
誰かが「ハコ点」(自分の点棒がすべて無くなる)なったらやめようという自制もあった。
マージャンで財産を亡くした人など聞いたこともない。負けた悔しさはあったが、飲みながらでも手軽にできて仲間4人が数時間を楽しめるという遊びはなかなかない。
友人宅で徹マン(徹夜でやるマージャン)をやったのも楽しい思い出だ。
徹夜でやりたいほど楽しめる!!凄いと思いませんか。
遊びにはお金がかかるものだし、マージャン店でやれば当然場所代がかかる。少々のお金を賭けるのは楽しみ代としての認識が大半だ。麻雀をギャンブル性の高い遊びと断定するのは法律者の観点であって、市民感覚から言えばギャンブルという表現には違和感ある。
初心者であっても偶然という女神の到来で勝つことがあるからこそ楽しめるのがマージャンである。
確かに50%は時の運だツキだという類の遊びだが。あくまで知人・友人家族内での遊びに刑法を持ち出すことがナンセンスだ。1円賭けても偶然なら刑罰だ、、、バカも休み休みに言え。だ。
何十年も雀荘で賭けマージャンをやってきたが、警察に問われたこともない、わかってて見逃すというより、取り締まる方も刑罰に値しないと思っているからこそ放置しているのだ。
もう何十年も前になるが、サラリーマンにとってゴルフやマージャンはコミュニケーションの一つとして欠かせないものだった。
今でこそ、社員旅行はなくなり、上司と会社帰りの一杯は敬遠されがちだが、極親しい仲間や、会社の同僚間での1回の飲み代程度の賭け麻雀は遊びの範囲内である。
「1円賭けても賭博罪」大上段に構えてささやかな庶民の遊びを制限することこそ国家犯罪である。
不特定多数を集めその場所を提供するようなもの以外は明確な基準を作って賭博罪から外すべきである。
野党がここぞとばかり、「麻雀賭博」だと大上段に構えて騒ぎ立てているが、黒川弘務検事長らのように2千円から2万円程度の掛け金であれば彼らの所得水準から言えば仲間内の楽しみとして、一般常識から外れているとは思えない。
問題があるとすれば、コロナ自粛の中で、且つ渦中の人間での立場の人間がやることではないことは確かだが、まるで鬼の首を取ったように騒ぐ立憲党首の態度にはいささか辟易とする。
麻雀が賭博罪となるなら、昭和時代のサラリーマンの大半は逮捕されなければならないだろう。
時代というより、実態にそぐわない法律の内容こそ変えるべきである。
「同僚間、極親しい仲間内」などと限定し、今の娯楽の金銭感覚で言えば、1時間1,000円~2,000円が相場のような気がするが、その程度の金銭は遊びの内に入れるべきである。
今の若者の遊びは多様化しているが、高齢者にとって、仲間4人が集まって遊ぶには格好のゲームである。ゴルフに行けば、プレー代、交通費、食費などを含めれば2万円近くはかかる。それを思えば安い遊びである。特に高齢者にとってはボケ防止にも大いに貢献するのではないか。返って厚労省などは高齢者に推進すべきではないか。
70年たっても憲法一つ変えられない。
法律全般の ¨ガサ入れ¨ オーバーホールした方がいいんじゃないのかい。
もう、やけくその気分だ。