追悼・横田滋様
Vol.1-6.7-145 追悼・横田滋様
2020.06.07
返す返すも残念である。
めぐみさんは中学1年だった昭和52年(1977年)11月15日、新潟市の自宅近くで下校途中に消息を絶った。
失踪から約20年までは原因不明の日々を過ごされた。
昨日までいた愛娘が突然姿を消すということはどういう事か、冷静になっ自分に置き換えてみる。
自分の娘が突然いなくなる。
何をどうしていいのかさえもわからない。
捜す方法もなければ手だてもない。ストレス、ストレス、ストレスで発狂してしまいそうになるのではないか。
如何にも穏やかで、優しいそうに見える滋さんでもそんな心境になったと想像できる。
幼い子供ではない。ものごとが分かる13歳の中学生だ。
きっと連絡がくる。望みをかけるしかない。
昨日まで普通にあった日常が信じられない。
考えても考えても、何をどうしていいのかすらわからない日々の連続が続く、、、、。
唯一、失踪する前の日にめぐみさんが誕生日祝いにくれた「くし」が現実にあった最後のめぐみさんとの繋がりだ。
くしを懐に収め「いつかふと戻ってこないか」と胸に秘めながら20年を過ごされたのだ。
想像を絶する苦悩は第三者が説明できるものではない。
時には気の狂いそうになることも、あるいはこの世に生きる望みを亡くすこともあったと想像する。
街を歩けば、どこかで会うかもと、後姿が似ていれば、駆け寄ったかもしれない。
そんな日々の20年、後に拉致判明を思えば残酷である。
1970年代から1980年代にかけ、日本国内において、不自然な形で行方不明となる者が出ていた。警察による捜査や、亡命北朝鮮工作員や逮捕された工作員の証言などから、北朝鮮工作員による、日本人拉致の疑いが濃厚であることが明らかになった。
冷戦末期の1987年に発生した大韓航空機爆破事件の際の工作員金賢姫の証言から疑惑が浮上したが、国会も国民もマスコミもほとんど疑心暗鬼の世界を彷徨う程度。当然のように、北朝鮮側は否定し続けた。
昭和52年に拉致された中学生横田めぐみ等に関する実名報道があってから、国会で取り上げられるなど、やっと注目されるようになった。
時すでに20年が経ち、消えかかっていた灯が灯された時だ。
平成9年(1997)には拉致被害者の救出を求める議員連盟が発足し、政府が7件10人の拉致被害者を認めた。北朝鮮側は「拉致は捏造」と主張し、北朝鮮系の在日朝鮮人の団体である朝鮮総連なども同様の主張をしていた。
滋さんは同年に結成された拉致被害者家族会の初代代表に就任し、妻の早紀江さん(84)と救出活動の先頭に立ち続けることになる。
この拉致の問題になると思い出すのが、売国奴「社民党・土井たか子」だ。
【土井たか子ネット情報】
「1988年に北朝鮮に拉致された石岡亨さんが手紙を外国人に託し、その手紙が8月13日付ポーランド消印で有本恵子さんの家族の許に届く。石岡亨さんは手紙のことがバレたら殺されるという身の危険を冒してまで手紙を書き、北朝鮮に拉致されたことを家族に知らせたかったのだ。
その手紙により、行方不明になっていた有本恵子さんが北朝鮮にいることが判明する。有本恵子さんのご両親は外務省に陳情したが、外務省からは無視され相手にされない状態だった。
困り果てた挙句、有本さんの両親の選挙区の地元国会議員であり、当時北朝鮮と親密な友好関係にあった社会党の委員長(当時)土井たか子氏に陳情することにする。国会を訪れ国会内のエレベーター前で土井たか子氏に石岡亨さんの手紙を根拠に直接陳情したのである。
しかし、土井氏には全く相手にされなかった。それだけではなく、土井氏は石岡亨さんの手紙の存在の事実を、朝鮮総連に密告したのだ。朝鮮総連は北朝鮮の日本における出先機関だ、石岡さんが手紙を送ったことは北朝鮮に知られてしまう。
そして手紙が届いてから、わずか2ヶ月後、突然有本さんら3人の「同時処刑」が報じられた。」
土井たか子は間違いなく北朝鮮シンパである。
<土井たか子氏死亡時の百田尚樹氏のツイート>
彼女は拉致などない!と断言したばかりか、拉致被害者の家族の情報を北朝鮮に流した疑惑もある。まさしく売国奴だった。
こんな国会議員がいるから拉致は解決しないと断言できる。
日本国民が一つにならなければ解決できない。
少なくとも国会議員の全員が「ブルーリボンバッジ」をつけ一致団結している姿を内外にアピールしなければ、悪魔の国北朝鮮に届くはずもない。未だに拉致解決に不熱心な議員がいるということが拉致未解決最大の原因である。
悲しい限りだ。
北朝鮮は、核兵器を持っている。日本は軍隊と呼ぶことさえ許されない無防備な国だ。もし日本が核兵器保有国であったなら、指をくわえて相手にもされない無様な事にはならなかったであろう。
核兵器を持てと言うのではない。軍備とはそういうものだ。
警察が、人質をとってビルに立てこもった時、救出に丸腰でビルに飛び込みますか?
飛躍でも何でもない。現実を見ない平和主義者よ、自分の愛娘が拉致されたことを考えてみよ。と言いたい。
横田滋さんの死去を受け、早紀江さんは息子の拓也さん、哲也さんと連名で、
「主人と2人で頑張ってきましたが、主人はめぐみに会えることなく力尽き、今は気持ちの整理がつかない状態です」とのコメントを発表した。
お気持ちは察するにあまりある。
国会議員よ!!国の代表であろう。与党も野党もない。
我が同胞を救うために何故心を一つにできない。
このバカヤローと叫びたい。