安倍首相辞任
Vol.1-8.30-229 安倍首相辞任
2020.08.30
29日午後5時、安倍総理は記者会見を開き辞任を発表した。
持病の潰瘍性大腸炎の悪化により「国民の負託に自信を持ってこたえられる状態でなくなった以上、首相の地位にあり続けるべきではないと判断した」と述べ、志半ばで自ら幕を閉じる。
7年8か月の長期政権と言われるが決して長いとは思わなかった。
あまりにも多くのことがありすぎたからかもしれない。
しかし、最も安倍さんにやってほしかった
(1)憲法改正と
(2)拉致被害者救出だった。
会見では、ロシアとの平和条約を入れた3つを首相として出来なかったことを、断腸の思いと表現されたが、端からプーチン大統領は「北方4島返還」の意思は全くなかった。さらに憲法改正に「領土割譲は認めない」との文言までいれてガードをかためたロシアとの平和条約など、ありえないとジイは思った。
憲法改正は返す返すも残念だ。安倍総理は「残念ながら国民的な世論が十分盛り上がらなかったことは事実で、それなしには進めることはできないのだろうと痛感した。」と語った。
しかし、国民世論とは何であろうか。メディアと政治家がつくるものであろう。
政治も野党のほとんどが改憲反対、NHKはじめテレビ局のほとんどが反安倍であれば当然世論を期待するのは無理であろう。全国紙も多くが、共同通信や朝日新聞のコピーである。世論が盛り上げるのは至難の業だ。
ロシアが、中国が、つい最近、都合のいいように、それもいとも簡単に憲法を改憲したが、この時ばかりは共産党独裁政権とは、国家運営上、何と都合のいい政治体制であろうとうらやましく思った。
自由民主主義の難しさである。しかし、日本の場合はさらに特殊である。民主主義であれば50%の賛成で進めばいいができない。
憲法審査会も自民党主導でどんどん進めれば良かった。野党にも「維新の会」や「国民民主党」は憲法改正に前向きの党首以外にも多くいる。反対者は共産党と立憲民主党だけである。
しかし、賭け麻雀問題で東京高検検事長を辞職した黒川弘務氏の問題から、公務員の定年延長法案が否決に追い込まれた。
芸能人などのSNS投稿で反対者が40万件か400万件という異常な反対行動で世間にアピールした世論操作。テレビ、新聞のほとんどが、反安倍である。メディア総出で潰したのである。
以上の如く、相当の票が固まった状態でないと進められない日本の事情がある。
政治の世界は嫉妬の世界でもあるという。安倍総理に憲法改正までやられたら後の人間はたまったものではないという嫉妬根性があったのかもしれない。
いずれにしても今の日本の政治家に国家意識は存在しない。あったとしても希薄すぎる。
その原因はといえば、何度も繰り返すようで恐縮だが、終戦時のGHQの占領時の検閲と洗脳、東京裁判までさかのぼらなくてはならない。
何故、そこまでかと言えば、未だ靖国参拝が国民の中で理解されてないからである。中国の内政干渉によって参拝できないこと自体がおかしいと気づかない日本国民の存在である。
安倍総理が、憲法改正で「国民的な世論が十分盛り上がらなかった」と語ったが、正しく、憲法改正も、靖国神社も国民が正しく理解していれば、国民が日本を守るために立ち上がっているはずである。
その意識を抹殺したのが、GHQ洗脳に始まる教育の左傾化、主要大学、特に東京大学の左傾化である。
国家意識の欠如は戦後教育の賜物である。
今日のテレビでも安倍総理の後任人事がニュースバラエティで取り上げられていたが、有力候補は岸田文雄氏や石破茂氏だ。世論調査では小泉進次郎氏が石破氏についで2位にランクインしていたがこれにも国家意識の欠如が表れた結果だ。アイドルの人気投票と大差ない。
ニュースバラエティでは堅いところで岸田、菅、石破氏の3氏が上がっていたが、どのコメンテーターも国家という言葉を口にしたものはいなかった。
国家感なき総理なんて言うのはありうるのかジイは疑問だが、政治評論家の伊藤 惇夫氏は「(国民も)安倍政治に飽きたんじゃないんですか」とし、丁度いい時期であったというニュアンスで話したのには驚いたが、これこそが国民感情を忖度した言葉であろう。
まさしく、国民に国家感が希薄になったということを示してる。8月と言えば、日本では最も戦争を思い出し、ヒロシマ・ナガサキ、靖国神社と遺族という言葉が頭に浮かぶ。そんな日本国家に敏感な月であるにもかかわらず平気でそんな言葉がでる日本になったと言うことだ。
安倍首相の辞任に、アメリカトランプ大統領は「私の素晴らしい友人であり最大限の敬意を払う。彼は日本を愛していたので、辞任はつらかったに違いなく、とても気の毒に思う」と話した。
「日本を愛していた」とトランプ氏は言ったが、愛国心のある政治家として、敬意を表したのである。
この愛国心が政治家の最も大事な資質とジイは思うが、どの候補にもその愛国心のにじみ出るような政治家は見いだせない。
伊藤氏が「安倍政治に飽きた」と言ったが、安倍首相が今の東アジアの緊張をアメリカと共同で乗りきるには最高の政治家であった。
しかし、政治家の嫉妬と朝日を筆頭に反安倍・反日メディアはそれを全力で阻止したと言うことだろう。
この大事な局面とは、アメリカが言うように、自由主義対共産主義のせめぎ合いに日本がキーマンとしてどう動くかが大きなターニングポイントになるはずだった。この大事に時期に朝日を主にすべてのメディアが安倍政権に協力し、乗り切ろうとしたなら、中国の暴政を押さえ、安倍政権で世界のリーダーシップは間違いなくとれたであろう。
NHKを筆頭にメディアの責任はあまりにも大きい。
戦後、国家でありながら国家を否定する空気を引きずって今日を迎え、やっと安倍総理で国家感が感じられるかに見えたが、戦後75年、防衛を放棄した片務防衛はあまりにも大きなものを失うに至った。
平和ボケは平和中毒となったに等しい。ハッキリ言って政治評論家でありながらの伊藤敦夫氏の発言は象徴的である。
李登輝氏が日本の現在を嘆いたのはその通りである。
安倍総理の記者会見での質問記者もお礼の言葉一つなかった。
安倍総理の何を見てきたのだろうか。
モリ・カケ・さくらがすべてを語るかのような記者感覚というところか。
<世界は、、>
※トランプ大統領・・・「最大限の敬意を払う」
※ボルトン氏は、「安倍氏の辞任は日米両国にとって大きな損失である」と語った。
※台湾蔡英文氏は「安倍総理は台日関係に多大なる貢献をされ、今後、どんな立場においても台湾にとってもっとも大事な友人です」
※アメリカ政府は「傑出した指導力を発揮したことに感謝したい」
「安倍総理大臣の自由で開かれたインド太平洋のビジョンは、トランプ大統領のビジョンと緊密に連携、協力し、2つの偉大な国がそれを大きく前進させた」と高く評価した。
悲しいかな日本では評価らしい評価はアベノミクスで経済と雇用が安定したことぐらいが評価であった。
安倍氏なき後の人材は見つからない。
何度も言うが、国家感を感じさせる日本男児がいないのだ。
軍隊を持たない国の性かもしれないが、であれば国防をアメリカに依存している実態は独立国としてあるまじき行為であり、アメリカの核を批判することはできない。
広島・長崎の平和演説で「核兵器禁止条約」に参加せよと叫ぶ。その内容も国民に詳しく説明せず、参加を叫ぶのはパフォーマンスとしか思えない。
広島・長崎市長はその内容に踏み込み「核禁止条約」の名前に相応しい内容に加え、自らの案を世界に示したらどうかと思う。それさえせず、小鳥のさえずりのように「原爆の日」だけの発言はただのパフォーマンスと言われても仕方あるまい。
ジイは、残念である。
安倍総理のもとで、拉致被害者救出と、憲法改正をやり遂げてほしかった。もっともっと悪人になるべきだったのではないか。それは国家のためにである。
強力なブレーンに恵まれなかったこともあるが、戦後の日本社会といおうか、防衛を欠いた日本の「かりそめの平和」に負けたと言えるかもしれない。
残念で残念で仕方ない。
しかし、今となってはただお疲れ様でしたとしかいいようがない。
日本を最も愛した首相・安倍晋三65歳。3度目があればまさしく不死鳥である。