全米オープン

スポーツ,日本,雑記

Vol.1-9.23-253    全米オープン
2020.09.23

日本のゴルフファンにとって、誰もが思い出すのは、昭和55年(1980)あの「全米オープン」でのジャック・ニクラウスと青木功の最後までもつれにもつれた死闘だ。

当時38歳の青木は初日から「全米オープン」3回優勝のジャック・ニクラウス4日間同じ組み合わせで闘った試合だ。予選ラウンド2日間のスコアはニクラウスが6アンダー、青木は4アンダー。3日目を終わってついに2人は6アンダーでトップに並ぶ。そして最終日はさながらマッチプレーの様相を呈し、勝敗は最終ホールにまでもつれ込んだ。

すべてジャックファンの大ギャラリーが最終18番ホール囲んだ。先に打ったジャックがバーディーを決めて勝利を決めた。その瞬間ギャラリーは歓喜の声を上げグリーンに殺到した。その時だ、まだ青木のパットが残っていたのだ。

ジャックは両手を大きく広げ声を上げてギャラリーを制した。「まだ青木のパットが残っている」と。ギャラリーの興奮は一瞬にして静まり返った。青木はパーパットを沈めて。闘いは終わった。

この劇的なシーンをジイは未だに鮮明に覚えている。青木の赤いゴルフウエアが目に焼き付いている。

後日、青木は
「ジャックへの声援は日増しに大きくなっていった。そんな状況で仮にオレが勝っていたら、ギャラリーに踏みつけられていたかもしれないな。それくらい異様な雰囲気だったよ」と語っている。

2020年、今年の全米オープンが21日、27歳の科学者といわれるデシャンボーの勝利で終わった。

今回ばかりは、日本のエース松山に大いに期待した。アンダーパーが出ない難コースでありながら3日目を終え4打差3位につけ優勝の期待がかかった。

しかし何と最終日に78とスコアーを8打も落として脱落。この日2打差2位からスタートしたブライソン・デシャンボーが67をマーク、唯一のアンダーパー、通算6アンダーで初優勝を果たした。

自身を「ゴルフの科学者」と称し、ドライバーのフェース面を垂直に近づけ、アイアンのシャフトの長さを統一。パットは機器を使って打球速度と感覚を身体に染み込ませるなど、ゴルフの科学者の名にふさわしく徹底した独自理論をつらぬく精神力と技術を確立した。その結果が勝利に結びついたとすれば格別の嬉しさであったに違いない。

メジャーで勝つことの大変さを物語っている。

松山も3ラウンドまでは、優勝圏内であった。力量が優勝者より劣るとは思えない。どこが足らないのか、ということだが。やはりゴルフに対峙する哲学というものと、勝利に対するハングリー精神が今一歩勝者に及ばなかったということだろうか。

昨年、女子メジャー、全英オープンを制した渋野日向子選手。彼女の今年の成績をみると昨年の勝利は何だったのかと思うほど不振である。

彼女は昨年、日本国内で勝負強さをみせ一躍その名を知られるようになったが、海外挑戦については全く興味を示さなかった。しばらくは日本ツアーで頑張りたいと言っていた選手である。

全英オープンは、日本ツアーの延長線上で成り行き上挑戦したにすぎない。名もない選手の初挑戦は、失うものがない気楽さ、それはプレー中の駄菓子を無邪気に食べる仕草にも表われていた。リラックスと日本での自信と初めての海外戦で思い切っていこうという積極性以外に彼女を遮るものがなかったことが幸いした。さらに彼女の強運とも相まっての勝利だったと思える。

その勝利が彼女を海外でもできるという方向に変えさせた。しかし、世界はそれほど甘くなかったということだ。しばらくはもがき煩悶しながら過去の勝者が辿った苦難を乗り越えなくてはならない。それを克服した暁に本物の渋野日向子の誕生になるのだろう。当分、人気先行で苦しむ姿を見るのは辛いがこの自身との闘いこそ必要な道程を思える。

日本選手が海外で勝てない理由は、選手層の厚いアメリカでもまれることもそうだが、勝利への執念としての自分のゴルフ哲学に徹底して打ち込めるか、それ次第というような気がしてならない。

全米オープンで初優勝をしたデシャンボー選手。勝利のパットを決め、力強くこぶしを振り上げ勝利の喜びを表した。本来なら大ギャラリーの大声援の中であるはずだった。しかし、クラブハウス脇に来られなかった両親の姿が画面に映し出されるとたまらなく目頭を押さえた。メジャーのなせる業である。

いつの日かそんな松山選手の姿が見たいものだ。

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