国語はアナログで

Vol.1-10.23-283   国語はアナログで
2020.10.23

デジタル庁は、医療・教育が最優先でデジタル化に取り組むようだが、特に医療関係は高齢者など一人で病院に行けない方に対し、画面を通じて診療等ができるとすれば朗報である。

しかし教育である。特に国語、いわゆる日本語に対し国家がどの程度重要性と愛情を持っているかが問われる。
欧米のようにABCというアルファベット26文字を覚えればいいという世界ではない。

当然だが、漢字・ひらがな・カタカナ・ローマ字の他、勉強を広げていけば、変体仮名、草書、行書など複雑多岐にわたる。小中学生にパソコン1台が割り当てられ、はい、パソコンを開いて~、、、などとなった時。数学や理科はいいかもしれないが、国語だけはどうにもならない。

読む以外に、書くという作業をなくして日本語が奏でる美しさを習得していくことはできない。

義務教育だけでも漢字は2,130文字を覚える。一般的漢和辞典は5,000~6,000文字だが、すこし大きくなれば10,000~20,000文字。大辞典になれば、30,000文字である。

取り組めば数限りない世界だ。やはり書くという行為をなくして日本語を覚えるのは困難である。

今回はデジタル化によってさらに国語が希薄化してしまうことをジイは心配するのだが、もう20年も前にベルギーのウィリー・ヴァンドゥワラ学科長が「隣人たちから」というコラムに『日本語や伝統文化を守る努力を(’00.10.25産経新聞)』と題した示唆的なメッセージがあったので紹介したい。

『美しい日本語に魅せられ、古くは芭蕉、新しくは「サラダ記念日」のオランダ語訳などを手がけてきました。

私が教授を務めるベルギーのルーブァン・カトリック大学は欧州有数の日本学研究機関で、日本や欧州各地の研究者が学術交流に取り組んでいます。

ところが、最近、日本に来てみると、私があこがれた美しい日本語が姿を消しつつあるように思います。

ある喫茶店に客が感想を書く「らくがき帳がおいてありました。ぺらぺらめくって見ていくと、漢字が少なくなりカタカナがはんらんし、日本固有の言語文化が失われているのにがく然としました。

もちろん、言葉は生き物です。時代とともに変化していくのは当然でしょう。しかし、伝統的な言葉を忘れては、日本の固有の言語芸術はすたれてしまいます。

こういった事態は英語偏重の今の時代のせいだと思います。

今の若い人たちは、英語さえ話せれば国際的になったと思いこんでいるのではないでしょうか。

それは大きな間違いです。英語が流暢になっても、独自の伝統文化・芸術を語らなければ、だれも耳を傾けてくれませんよ。英語を使うと基本的に人の模倣しかできません。個性のない話などだれがきくでしょうか。

真の国際化とはおのおのの国の中にあるのです。それは自国の言葉で自国の文化を学ぶことから始まります。
言語の乱れや英語偏重は、世界的傾向です。しかし、時勢に逆らってでも、自国の文化を守る努力をしてほしいものです。』

このメッセージには外国人だからこそ見える日本の神髄を見抜いて鋭い。もし、ヴァンドゥワラ学科長が見られた「らくがき帳」にちょっと崩した美しい縦書きで書かれていたとしたら、学科長はなんておっしゃたであろうか。

外国人を魅了する平安の世から紡いできた美しい日本語芸術、短歌、漢詩、俳句などをどうして日本の日常でたしなむことができる教育をしてこなかったのだろうか。明治の知識層は皆、事あるごとに漢詩を詠んだというではないか。

大東亜戦争での敗戦は日本人を根底から変えた。日本文化の抹殺と悪者日本というイメージ作りに率先して協力した左翼。ああ、悔いても悔やみきれない。GHQも憎いが、占領から解放されてもなお、GHQの下請けとして今日まで、日本を自虐史観のまま抑え込んできたリベラルたちが憎くて仕方がない。

自国の国旗、国歌さえ忌み嫌う国民がいる国は地球上にただ1つ日本だけだ。アメリカ大統領が演説しながらアメリカ国旗を抱きしめる。保守、野党変わらない姿だ。

教育が変わらなければ日本はあるべき姿を取り戻すことすら難しくなる。文科省が「新しい歴史教科書」を1発で不合格にしたことを見ても、日本弱体化を生む源泉は日本の中枢にある。

20年前、ウィリー・ヴァンドゥワラ学科長が指摘した日本語の衰退。劣化はさらに進んだ。

ああ、出でよ!日本救済宰相!!。ジイの心からの叫びだ。

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日本,雑記

Posted by 秀木石