少年法は少年を守らない
Vol.1-11.29-320 少年法は少年を守らない
2020.11.29
昔々その昔は元服といいおおむね13歳から15歳の年齢で成人の儀式が行われた。
江戸時代が終わり、明治になり、西欧文化の影響で20歳となったが、昔は15歳といえば大人の儀式をしたのだ。
明治初期、英国の旅行作家、イザベラ・バードが日本を訪れ、本州内陸と蝦夷地を旅している。その中に日本の子供について語った記述がある。
『・・・うるさい子供や聞き分けのない子供はひとりも見たことがありません。子供の孝行心は日本の美徳の筆頭で、無条件服従は何世紀もつづいてきた習慣なのです。
英国の母親たちのやる、脅したりおだてたりして子供たちにいやいや言うことを聞かせる方法はここにはないようです。わたしは子供たちが遊びのなかで自立するよう仕込まれるやり方に感心しています。
家庭教育の一部にさまざまなゲームのルールを覚えるというのがあり、このルールは絶対で、疑問が起きた場合は、口論でゲームを中断するのではなく、年長の子供が命令をしてことを決着させます。
子供たちは子供たちだけで遊び、なにかあるたびにおとなの手をわずらわせるようなことがありません。
わたしはふだんお菓子を持参し、子供たちにやりますが、ひとりとして先に父親または母親から許しを得ずに受け取る子供はいません。許しを得ると、子供たちはにっこり笑って深々とお辞儀をし、その場にいた仲間に手渡してから自分の口に運びます。やさしい子供たちですが、堅苦しくまた早熟です』(イザベラ・バードの日本紀行)。
と記し、私は日本の子供たちが大好きですと書いている。
日本は、明治、大正、昭和初期の一時期を戦争の時代として忌み嫌う傾向がある。教育勅語なんていうと時代錯誤も甚だしいだの軍国主義と糾弾する。なんという単細胞のバカどもか。
教育勅語で育った子供たちがバードの見た明治の子供である。バードの賛辞にあるように決して間違った教育ではない。
話は「少年法」である。
昭和24年に施行され71年が経つ。
その後の経緯である。
◆昭和41年に年齢引き下げの議論がされた。
→ 裁判所と日弁連の反対で不成立
◆昭和45年に18才、19才の刑事罰が議論。
→ 裁判所と日弁連の反対で不成立
◆昭和52年に18才以上の刑事処分議論。
→ 世論(?)反対で不成立。
◆平成12年、重大事件につき16才以上刑事罰(原則14才以上)成立。
→ 50年経ってやっと少年法の改正を見る。
◆平成19年、14才未満でも少年院送致可能。
司法は常に加害者の立場でものを見てきた。未だに被害者の人権は加害者並みの人権にはない。
選挙年齢が18歳になろうとするのに何故少年法だけが18歳を大人とみないのか。何かというと少年の更生のためと言う。更生よりも前に加害者にさせないことだ。
藤井聡太棋聖をみよ、17才にして立派な棋士だ。藤井棋聖を子供扱いなど無礼千万な話だ。もう一度日本の教育は明治に倣ったらどうだ。
いいかげん戦時洗脳から目覚めるべきである。
学者、弁護士、裁判所、というと平民は “へへ~い ” と一歩引く。
堂々と日本を守れなくて何が学者だ弁護士だ。学術会議を見れば一目瞭、売国奴の集まりではないか。
少年法が改正されて20年。また停滞期を迎えるのか。
少年法を利用する大人のお蔭で少年の成長を妨げている。
少年法は義務教育卒業年齢16歳未満で十分である。
自覚を持たせた教育こそ成長の源泉となると確信するが。