国家独立は命より重要

世界,日本,雑記

Vol.2-1.15-367     国家独立は命より重要
2021.1.15

「国家独立は命より重要」などと言ったら、多くの日本人は目をむいて怒り狂うかもしれない。

しかし、ほんの30年前、バルト3国・リトアニアは市民の命を犠牲に独立を果たしたのである。

現在「リトアニアにおけるナチスおよびソビエト占領期のための国際委員会」の事務局長を務めるロナルダス・ラチンスカスは、当時大学生だったが、ソ連の攻撃の中、最高会議ビルを守るため「人間の盾」を作ってビル周辺にいたという、まさに独立戦の最前線にいた人間である。

母親に引き止められたが「僕がやらなくて誰がやるんだ」といって人間の盾の一人としてビルを守った。

近くのテレビ塔でソ連の発砲で死傷者が出たとラジオニュースで知る。
「何かが起きる悪い予感がした」と当時を述懐。ビル周辺にいたラチンスカス氏は「人生最後の日になるかもしれない」と思ったが、『死ぬのは怖くなかった。国家の独立は命より重要だった。友人もみな同じ気持ちだった』と語った。

大東亜戦争で若くして散った多くの英霊たちも、きっと同じ心境であったろう。『桜の咲くころ、靖国神社で会おう』そう言って飛び立った特攻隊員の気持ちは、まさに国家と家族を守るために死など怖れることはなかった。

ロナルダス・ラチンスカス氏の「国家の独立は命より重要だった」と語った言葉に胸が熱くなる。

1991年1月「血の日曜日事件」から30年を迎え、リトアニアの首都で市民らがロウソクをともし追悼した。ナウセーダ大統領は「ろうそくには二重の意味がある。独立を勝ち取った英雄たちだけでなく、勝利のために支払われた犠牲も忘れない」と述べた。

リトアニアは20世紀以降だけでもソ連、ナチス・ドイツ、ソ連と3度も支配されている。この体験こそが、冒頭の「国家の独立は命より重要」に繋がっている。

部外者が、命の大切さのみを強調しても何の意味もない。

ロナルダス・ラチンスカス氏は「あの13日は決して忘れることはない。十数人の犠牲者や多数の負傷者が出たと知って心が痛んだが、私たちは『独立を守ったんだ』と理解した。あのような実感を得るためこそ、人生は生きる価値がある」と語った。

わが国が、国際社会の一員として紛争地近辺に自衛隊員の派遣でもしようものなら、「自衛隊員の命は」考えてないのか。と野党第一党党首の怒鳴り声が聞こえる。

自衛隊員の命を軽視するわけではない。ただ、何のために行くのかの議論を飛ばして、「命がすべて」の議論しかできない日本の政治家。かつて日本を守るために戦った英霊たちに決し頭を垂れない野党の人間たち。堂々と靖国神社に参れない多くの政治家たち。

英霊たちもこんな心の錆びついた人間に来てほしくもないであろうが。

駐日リトアニア大使、ゲディミナス・バルブオリス氏も30年前ラチンスカス氏と同じく大学3年生で最高会議ビルを死守する民衆の中にいた。テレビ塔が武力による血の攻撃を受けたと聞いた後、市の中心部に集まった時の高揚感を鮮明に思い出す。と語った。

彼もまた、犠牲者の死は無駄ではなかったと断言した。さらに、われわれが「リトアニアの勝利」という時、30年前の歴史的瞬間に生きてきた人々だけでなく、ロシア革命と第一次大戦後の独立戦争に志願し、リトアニアの自由の礎を築いた前世代の人たちも念頭に置いている。と語ったのだ。

先人たちの思いを決して忘れることのないリトアニアの人たち。

私たち日本人は、GHQの洗脳があったにせよ、世界中が欧米の植民地の恐怖に怯える中、敢然と立ち向かった日本人に誇りさえ持たない。

さらに悲しいことに無法裁判で刑を色分けするために使ったA級・B級をいいことに日本断罪のために使う反日日本人がいる。さらにそれを信じるバカな日本人がいる。

「アジア=大東亜」を欧米の植民地になるまいと戦った一面を見ずして、「アジア諸国に迷惑をかけた」と中国だけを念頭においた発言を繰り返す反日日本人の多いことよ。

アジアの多くの国々は、日本が日露戦争に勝って、アジアに希望を与えてくれたと称賛した。そんなことも語られず。大東亜戦争で日本の侵入は東南アジア諸国を食い物にする外国勢力を追っ払う目的もあったのだ。

日本は昭和20年を境に、心と歴史が分断されたまま75年が過ぎ去った。

リトアニアの現実はまだまだ厳しい。しかし、愛する祖国を命をかけて守ろうとするところに生きる価値を見出す国である。

飽食と平和ボケ、言い尽くされた感がある。何かと言えば平和を叫ぶ国民。平和と叫べば善人で、憲法9条があれば平和が維持できると信ずる?国民。

75年間も平和の礎を築いた日本人を思い出すことすらしない “ 腑抜け ” の日本の今である。

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