イメージが幻覚と化すとき
Vol.2-1.18-370 イメージが幻覚と化すとき
2021.1.18
たまたまつけたラジオからかつての最強マラソンランナー瀬古利彦氏の声が流れてきた。そう言えばテレビでも何度か拝見したことがあるが、昔の選手時代と違って、何故か饒舌であった。
<瀬古利彦氏のネット紹介には>
『フルマラソンの戦績は15戦10勝。勝てなかったのは最初の2回、79年のボストン、そして2度のオリンピックだけだった。ピーク時の強さは世界でも認められるところであり、事実ミュンヘンオリンピックの金メダリストで福岡国際マラソンにも4度勝ったフランク・ショーター(アメリカ合衆国)は、「マラソンランナーのナンバーワンはアベベ・ビキラ(エチオピア)、次に瀬古。僕はナンバースリーだろう」と語っている』
上記紹介文のごとく、我々の時代、瀬古と言えば、日本を代表するマラソンランナーで、ジイの若い頃は走れば勝つという絶対的イメージがあった。
印象として負けた時を知らないほどだ。だが、残念ながら、オリンピックでは確か2度とも勝てなかった。その印象が強く、オリンピックに弱い瀬古のイメージが残った。ただ、絶好調だった、モスクワオリンピックを日本がボイコットしたために出場できなかったのが残念ではある。
現役を引退して、テレビやラジオに出ることが多くなるにつけ、世間受けを狙って、イメージを変えているのかと思っていたがどうもそうではないらしい。
昔はどちらかと言えば無口で、眉間にシワを寄せ言葉少なに話す姿に修行僧に重ねた。哲学的匂いを漂わせる一種近寄りがたい独特の雰囲気を持っていた。
走りも、まるでメトロノームが打つ機械のような正確さで走っているようなタフさを感じさせたものだ。ライバルの宗兄弟との対決がいつも見もので、ワクワクしてその闘いに胸を躍らせた。
イメージとは怖いものだ。選手時代感じた暗さや渋さに一種の畏怖を感じたものだが、それは強さの象徴のようでもあった。
ところが、先日のラジオ番組では、お笑い顔負けの饒舌と冗談が入り混じり、過去のイメージが完全に覆ってしまった。あまりのギャップの大きさに、瀬古さん、どうしちゃったの?と思うくらいであった。
その真相は、学生時代に指導された中村清監督から、「お前はしゃべるな」と固く言われたことを明かしていた。その早稲田時代の中村清監督と瀬古選手とのコンビは有名である。
東京青山の明治神宮外苑ランニングコースは、早稲田大学時代より中村の指導下で瀬古選手が練習を行っていたコースとして有名で、通称「瀬古ロード」と呼ばれてた。
現役時代は寡黙な風貌とストイックな練習姿勢から「走る修行僧」と呼ばれもしたが、もともと冗談好きでおしゃべりな明るい人柄であったようだ。
当然のことだが、今の若い人は今の瀬古選手しか知らない、しかしジイのような現役イメージが強い人間にとって、まるで落語家のような瀬古選手はどうも違和感がある。
さらに言えば、饒舌というのはある程度博識やユーモアのセンスがないとただのおしゃべりバカに見られる危険性がある。
やはり瀬古選手の場合、現役を引退したのでそうイメージにこだわる必要はないかもしれないが、若干は昔のファン心理も意識した方がいいのではないかと余計な心配をしてしまう。神格化された修行僧イメージは決して悪いものではなかった。
そう思うのは、今から30年以上前に、芥川賞作家・高橋三千綱氏が、「スポートピア」というコラムを担当していた時に「人生を賭ける姿に感動」との中に挿入された瀬古選手のエピソードに感動したからだ。
『・・・オリンピックのマラソンで、瀬古選手の走りを見たとき、言いようのない悲しみが私の胸に湧き上がってきた。一つの時代が終わったという安直な言葉ではいえない。選手としてが生きられないスポーツの、生命の火が消えるのを見たと思ったからだ。
彼がまだ学生のとき、怪我をして走れなくなったことがあった。誰もが彼のカムバックはないといい、人々の頭の中から消えかけていた。
その頃、電車の中で私は瀬古を見た。彼は床に置いたバッグに腰を下ろし、ぼんやりと流れていく景色を眺めていた。深い絶望の色が彼の顔を覆っていた。顔色は石膏のように真っ白になっていた。
それから二年後、彼は奇跡のカムバックを果たし、ボストンマラソンに優勝したのだ。書くと簡単だが、そのため彼がどれ程の努力をしたのか、想像するだけで心が痛む。
選手としてピークを迎えたときに、モスクワ不参加がぶつかり、彼は悲運のランナーとなった。引退した瀬古をみんなはよくやったという。しかし本当の苦しみを知っているのは、本人だけなのだ。
ささやかな光をもとめて、苦しみ悲しみの中で練習するスポーツ選手の心に、作家としての私も、少しでも近づきたいと思う。』
と書き記したのだ。
明るく元気で楽しければ特別文句はない。人の人生である。しかし、芥川賞作家・高橋氏は今の瀬古選手の姿にどんな感想を持つだろうか。
ジイには、あまりにも自分本来の姿を知らしめようと肩に力が入りすぎ、軽さが目立ってしまう。現役時代はつくられたイメージであるかもしれない。しかし、それを否定せず、自然な力に任せ、力の抜けた新たな瀬古象を期待したいが、、、いかがであろうか。
名監督・中村清監督が「お前はしゃべるな」といった眼力はやはり凄いと言うほかない。