藤原流ケンカ腰
Vol.2-11.8-664 藤原流ケンカ腰
2021.11.8
数学者・藤原正彦。久しぶりに藤原節炸裂である。
11月7日の産経新聞に
「自由主義からの転換・ケンカ腰でやれ」のタイトルの寄稿があった。いかにも先生らしい歯切れ?のいいキャッチである。
藤原先生はご存知のように、数学者であり御茶ノ水女子大名誉教授でベストセラー作家でもある。
1977『若き数学者のアメリカ』第26回日本エッセイスト・クラブ賞
2005『国家の品格』・・・270万部のベストセラー、2011 日本人の誇り、2018 国家と教養等々何十冊もの本を上梓され、専門である数学書も多数ある。
その中でも特に日本に関する本はとても熱い。流れる血は祖国への愛情と、日本人であることの誇りに裏打ちされた確かな思考である。
若き日にアメリカに渡り、ミシガン大学研究員、コロラド大学ボルダー校助教授をへて御茶ノ水女子大学で教授。退任後は名誉教授となられている。
その経験の中から生まれた持論に小学校からの英語教育必修化に批判的で「一に国語、二に国語、三四がなくて五に算数。あとは十以下」であると述べ、国語教育の充実を推奨。「読書をもっと強制的にでもさせなければならない」「教育の目的は自ら本に手を伸ばす子を育てること」と主張する。
英語が小学校に導入される時も、「文芸春秋・新年特別号」(2020.1)に『英語教育が国を滅ぼす』として、強烈に導入を批判された。
英語教育の弊害として
①壮大な無駄
②子供たちが、日本の文化、伝統、情緒、道徳のよさに触れる機会を減少させ、日本人としてのアイデンティティー形成の妨げとなる。
③教養を積む妨げとなる。外交交渉の勝負は『教養と人間的魅力』。グローバル社会で生き抜くため、若いうちに鍛えるべきは、英語ではない。読書を通じ、知的充実に励むことである。、、、と主張された。
話を最初に戻す。
刺激的キャッチで書かれた論考とはだ。
岸田首相が掲げた「新自由主義にからの転換」に呼応したものである。
新自由主義=グローバリズム=小さな政府――である。この三本柱は ①規制緩和 ②自由貿易 ③緊縮財政、一見素晴らしく見えるが、この三本柱によって我が国は30年あまりずたずたにされた来た。というのだ。
岸田首相はその流れを転換させようとしている。これは画期的なことだと称賛した。ただ、この自由主義は中曽根首相以来菅総理まで続いてきたもので、この転換には並み居る先輩たちからの強烈な逆風が予想される。と危惧するのである。
そこで、この主張を実行に移すには “ ケンカ腰 ” にならないとできない。つまり命がけの仕事だというわけだ。
藤原先生は、いつも玉虫色がない。はっきりしていて分かりやすく主張が極めて鮮明である。
先生はとりわけ “ 国柄 ” を大事にされる。新自由主義は各国の国柄を傷つけたという持論をお持ちである。
今回の寄稿文、ちょっと長いが最後の章を紹介したい。
『新自由主義が最も傷つけたのは、実は世界各国の国柄である。とりわけ日本は深手を負った。16世紀以来、来日した西洋人がほぼ異口同音に絶賛し、明治に来日した詩人アーノルドが「天国または極楽に最も近い国」と評した、日本の文化、美術、道徳、礼節、もののあわれなどの情緒、が生き馬の目を抜くような競争社会の中で浸食された。
物事の価値を金銭で測ったり、お金を儲けることこそが、人間の幸せ、などという日本の国柄に全くそぐわない教義に、なぜ巻き込まれたのだろうか。
冷戦後の世界で、軍事上の無二の盟友でありながら経済上のライバルとなったアメリカに強制されたのだが、日本はそれに抵抗しなかったばかりか歓迎さえした。
思えば、我が国は、明治には弱い者いじめにすぎない帝国主義に手を染め、文明開化に狂奔し、大正には大正デモクラシーに酔い、マルクス主義にかぶれ、昭和にはドイツ型軍国主義に浮かれ、戦後はGHQに他愛なく洗脳され、ここ30年はグローバリズムにあっさり染まった。
欧米由来の思潮はすべて論理の産物である。一方、日本の国柄に論理はない。
だから、江戸になっても哲学や物理や化学は存在しなかった。数学は存在したが、それは芸術としてだった。
一方で、5世紀から15世紀までの1000年間に日本の生み出した文学は、その間に全欧米で産まれた文学を質及び量で圧倒している。日本はもののあわれなどを中心とした情緒の国なのだ。
欧米思潮にあっという間になびいたのは、産業革命をなしとげた欧米への崇拝もあったが、根本的には論理が脳に快いからだ。
ただ、近年の世界の混迷は「論理だけで人間社会はうまくまわらない」を示している。
もののあわれ、惻隠、卑怯を憎むこころなど、日本人が古来から大事にしてきた情緒と形こそが、今こそ混迷の世界を救うのに必要なのだ。新自由主義から目を覚まし、世界の宝石、日本を取り戻す時である。』
というのである。
世界を、とりわけアメリカを知り尽くし、世界を俯瞰した中での日本論にはいつも勇気をいただく。
藤原先生の言われる “ 宝石のような日本 ” を知りつくし、日本をバックボーンに世界と堂々と対峙できる青年が育つことを願ってやまない。
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